カテゴリー別アーカイブ: 日々

らくらく快足

らくらく快足

パソコン用メガネとか、一人がいいと言ったら
途端に全員、メガネ屋に飛ぶ。。。。

デスクワークって本当、きついんですよね。
デスクワーク一日12時間越えする私たち、
こういったのってほんと、必須なんです。

貧乏ゆすりが絶えない私たち、
おすすめします、これ。

木工職人たちとスプリングメーカーが開発したデスクワーカーの味方・・・いや、運動不足の人たち向け商品
木工職人たちとスプリングメーカーが開発したデスクワーカーの味方・・・いや、運動不足の人たち向け商品

らくらく快足

 

ただの貧乏ゆすりが運動になる!

・・・ただ、勢い込んで使いすぎると良くないみたいです。

まあ、外で運動するに越したことないんですけどね・・・

しばらくはこれにお世話になります。

 

 

肯定も否定もしないで欲しい

ALS支援:アイス・バケット・チャレンジ発案者が事故死

氷水をかぶって難病患者を支援するチャリティー活動「アイス・バケット・チャレンジ」の発案者の一人、コーリー・グリフィンさん(27)が米マサチューセッツ州の海で溺れ、16日に死亡した。米メディアが21日までに伝えた。

筋萎縮性側索硬化症」(ALS)の社会的認知を広めるために,世界で広がりを見せている「ALS アイス・バケツ・チャレンジ」
タレントの力をまざまざ感じる。が、このリンク、永遠続くのだろうかと思うと、こんな動きが。

“金城武為漸凍人之冰桶挑戰”

 

こういった活動であろうと、なんであろうと、「認知度」は大切。分からないと動きようはないのですから。
世の中全体「知らせたもん勝ち合戦」みたいなものだと思う。そういうことに、タレントやスターと言われる人達の力は絶大。
光って輝く人達の流れを受けるのだから、バトンが回れば嬉しいだろう、チャレンジするだろう。

「ところで、ALSって何?」そう思いながらバトンを受け取り、そのことがなんだか分かってないものもいるかもしれない。

以下は、一般社団法人ALS のサイトから引用

「ALSアイス・バケツ・チャレンジ」ご寄付のお礼と報告

「ALSアイス・バケツ・チャレンジ」は、難病ALSを克服するチャリティ運動として、
アメリカから世界中に広がりを見せています。
当協会では、このイベントが、これまで難病ALSを知らなかった人に関心を持って頂くきっかけになり、
ALSへの理解や支援の輪が広がっていると感じています。

また沢山の方からのお問合せやご寄付のお申し出に対し、心より感謝いたします。
頂いたご寄付は、ALSの原因究明や治療研究および、患者家族への支援活動のために、
大切に使わせていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

大丈夫、皆の行動は確かに形になり、成果が出ている。

1995年、泉谷しげるが阪神淡路大震災の時に、
「売名だよ!偽善だよ!文句あるか?募金しろ!」
とステージの上で言い放つ姿をテレビで観たことをよく覚えている。

御託並べてないで、とっとと助けないとならない時がある。理屈は後からで良い。
そういうことは確かにあるんだと感じた。

しかし、「誰かがやっているから私も」というのは、全て行いとして正しいとも思わない。

悪い人が出て来たからいい人となろう では、筋がおかしい。
それでは、ある意味 自分の人生に無責任ではないかと思う。
悪行が現れる前に、善行とは何か説いておくべきだと思う。

今、目の前のご飯を残すか残さないかの問題を、アフリカの飢餓を引用して「食べよう」では、
いつまで経ってもアフリカの飢餓問題も日本の残飯問題も世界の資源の無駄遣いもなくならないだろう。

「誰かに言われたから動く。誰かが動いたから動く。」だけでは、処理出来ない問題が多いと思うがどうだろうか?
全てが自分事にならないといけないでは? 他人事だから、いつまでもその問題達は片付かないのでは?

アイスバケット運動に参加した人達も、それを参加しなかった人達も正しいと思う。
ノッテおく時と、自らが選択することを大切とする時と、両方が必要なのだと思う。

幾ら募金がされたかは知らないけど、どれだけの方がこのALSのサイトを見たのか、それが気になる。

そして、タレントやスターの動きに翻弄されて、自分の行動が間違っていたのではと思う人がいないことを願いたい。

泉谷しげるに「募金しろ!」と言われて募金したあの時の少年も、
この運動を遠くから見ていた中年も、どちらも正しいと思いたい。

アイスバケット運動の発案者は、世の中へ問いかけただけではないだろうか?

「少し、考えてみてくれないか?」と。

決して、踏み絵をしようと思ったのではない筈だ。

だから、肯定も称賛も否定も反論もしないで欲しい。そう思います。

また、誰かのバケツの水が溜まって、こんな質問を世界に流して欲しいと祈ります。

お金のために働くと辛くなるのは何故?

気になったニュース記事

「日本一休みが多い会社」「創業以来赤字なし」 異能の経営者、死去

真反対の会社があるとしたら、当社”みやのめ”かもしれません(笑)

うちは、休日という概念がもはや失われているように思います。
深夜からの会議は当たり前、朝まで仕事して、朝から仕事開始。

が、そんなんでも別に文句を言う人もいませんし、プライベートのやりたいことはオールでやっています。

「何をするな」という言葉は一切ありません。

色々、これ、理由があります。

1.何のために何をしているのかはっきりしている
いつでも仮説を立てます。これをすればこうなるのではないか?というテスト、常にその気持ちで仕事に取り組んでいます。

2.大切なのはなに?
我々にとって大切なのはクライアントからの信頼量です。「お金より信頼」をモットーに、常に取り組んでいるので、障害が起きた時の対応については一切の迷いがありません。

3.そして、お金のために仕事しているとは思わない

世の中、”動いてる”のは本当にお金でしょうか?

よく聞きませんか?「時間はお金で買える」って。
新幹線に乗る時に使いたくなる言葉ですかね?

でも、本来の意味ってそんな単調な意味じゃない気がします。

誰かの労働力を使って自らが時間にゆとりを持たせる?

これも微妙にずれている気がします。

例えば、売上が沢山出て、利益率が良くて、労働力も沢山揃えられて、更に人材育成がしっかりされて、会社が完全盤石体制になったとします。それで満足になりますか?

yes そう答えますよね。では、そのために何もすることが出来なかったら?
やりたいことも全て失っていたら?

人の人生、24時間×?日のこの人生、結局は時間です。
自分の持つ時間を、お金に変換しているだけな気がしませんか?
そういう風に考えたら、何だか苦しくなりませんか?

無駄に沢山のお金を仕入れるため、無駄に何か大きな欲求を抱いて、無駄に余計な時間を過している。そんな気になったことはありませんか?

“人生を紙に変換している”それってどうでしょうか?
「食うためだ 仕方ない」無論、そう思うでしょう。

でも、”人生を人生に変換する”これが本来じゃないでしょうか?

動物だとしたら、シンプルです。生きるために動いています。
人間を特別な存在とは思いませんが、でも、人生というタイムラインを認知することが出来る私達は、それが一体なんだったのか?を考えて動いても良いと思うのですね。

つまり、価値ある人生です。そしてその価値ある人生とは、果たして「お金の量でしょうか?」紙切れに変換された人生は、何か寂しい気がしませんか?

思います。”お金で時間が買える”というのは、世の中のお金のシェア争いに巻き込まれている証拠だと。

納得行く時間をどれだけ過せるか?そこにお金という文字は不要じゃないでしょうか?
お客さんや市場の信頼をとにかくいただき、社会の輪に入れてもらう。

その時に、お金が確かに入ってきます。でも、それは人生の運用費です。人生への投資資金です。つまり、人生が主役であり、本分。その人生とは、時間です。

豊かな人生とは、お金が無い人生でもお金が不要な人生でもなく、自らが納得した時間をどれだけ過せたかのことを言うのではないでしょうか?

一億も二億も稼いだとします。とても簡単に。もしくはとても苦労して。
自分の時間をどう過せば良いか分からなかったり、自分の人生を全て辛い苦行のような時間に費やしてしまったり

・・・これこそ、本末転倒だと思うのですね。

本は幸せ、末はお金じゃないでしょうか。

幸せのための手段として”お金があるかもしれない” そんな仮説を検証しているのが”今”という人生の点なのだと思います。

お金のために働けば、お金が無くなった時に全てを失います。
過していく時間をいかに納得するか考えて行動していれば、失ったのはお金のみです。

失うのは、お金ですか?人生ですか?

お金で沢山の労働力を買って楽になったしても、自分の時間が潤っていなければ、、、、

先日、大手の会社で新入社員が過労によるノイローゼで命をなくされました。
わずか入社三カ月だったそうです。

どうして、「その会社を辞めてもいいことを誰も教えなかったのか?」

何のために何をしているのか、それを誰も教えてあげられなかったのか。酷く胸が痛みます。

今、貴方は何のために何をしていますか?

もう半歩で夢が叶うかもしれない。


分け登る麓の道は多けれど同じ高嶺の月をこそ見れ

真っ暗闇な山を一人登る中、彼方此方から「こっちは楽だぞ」と甘い声が飛び交う。。。

幻聴で、本当はもう頂 寸前かもしれない。

無駄って、信じない時間のことなのでは?

フラフラと彼方此方と良いところ取りをしていても、それほど都合良くは行きませんよね。
大事なるは、己が道や己が信じたモノを信じて進む努力かなと。

一歩がダメなら半歩ずつ。半歩が駄目なら明日から。
耐えて進んでにじり寄って、諦めずに己が足を運ばせる。

コンビニな道を歩む人を見かけたら、その方の影を見て見るべきだ。
汗かいて進まぬ辛そうな方を見かけたら、その方の未来を見て見るべきだ。

全て同じ場所に向かっているなら、

安心して、気楽に進もうじゃありませんか。
自分のペースでも、他人のペースでも。

だって、もしもですよ、

自分の経験値が全てなら、もう成功している筈だと思いません?極楽にいる。

でも、実際がそうじゃなかったら?=自分の経験値なんて役立たずだってことですよね。

他人の甘い声に誘われた時に、「これは俺の経験上、良い導きだ!」なんて思ったら、

行かないのもいいかもしれません。「甘い声に導かれても平気なくらいの経験値を持っているか?」

結構、重要かなと。先ずは、己が道を己が信じたように突き進んでみる。

足場を固めて見る。そしたら、もしかして、「あれ?もう頂上?」なんてあるのかも。

仏は多けれど、信じるは一つなり。

沢山の教えを学びながら、信じる道は一つ。

だから、先ずは、進んでテストするしかないんですよ。

と、日々雑感。

次は15年と4カ月でしょうか?


There is more to life than increasing its speed.

“バランスを保つ”ってとても難しいですよね。

理想と現実の狭間でバランス感覚を養うことが人間的な成長だそうです。

長期休暇後、二倍速、三倍速で動く人達に圧倒されます。
でも、気が付くと、その何倍もの速度に自分が変わっています。

“自分のペース”

社会と自分のバランスを取ること、その考えを固めること、大変ですよね。

嫌われる覚悟で自分の速度を守る人もいます。
自分の速度に合うように世界を変えるような人もいます。

でも、どちらもどうなんでしょうか。

「ペース遅くして!」誰かが叫んでも、
もうランニングハイなこの世界の速度が緩むとは思えません。

Change before you have to.

とはいえ、変革自体がもう、「進み切る」という変革しか無い気がします。

20年前の国連の環境会議で12歳の少女の発言、有名ですよね。
「元に戻す方法を知らないなら、これ以上壊さないで。子供たちを愛してると本気で言うなら、それを行動で示してください。」

今、目の前に降る雨も雪も、酸素も、地球の中の話です。

どこかの国の空気が汚れれば、地続きな以上、いつか必ず今吸っている空気がいつか悪くなる。

「地球人はこう進むべきさ」

というガイドラインも無いまま、ただ、やみくもに個々が個々の速度で影響し合って進んでいる。
ぶつかっている。これは、もう、速さというより、クラッシュですね。

“軽挙妄動”という言葉があります。
なにも知らない人間がちょこまかするとろくなコトが無いんです。
大局を抑えた人間の指示を待たないと、組織はろくなことがないんです。

地球と言う組織のリーダーは、一体誰なんでしょう。

There is more to life than increasing its speed.

高度成長期を過ごせば、速度を上げるばかりが人生のように思えます。

ゆとり世代として過ごせば、次第に何かが生まれるのをじっと待つことが人生かもしれない。

どちらにも属していない私達の年代は、その両方に挟まれながら、「どちらが本当か分からず」右往左往している気がします。

ただ、そんな板挟みの感覚で言えば、ビジネスだろうが環境だろうが暮らしだろうが、
ちょいと、慌て過ぎな感がありますね。

もうとっくに過ぎてしまいましたがた、”2012年12月22日に地球が・・・”というのがありました。
タイムウェーブ・ゼロ理論という「段々に地球の時間が加速していき、まるで栓を抜いた流し台の水の渦のように、吸い込まれていく」ーというとんでも理論。

この中で面白いなと思ったのが、「イベントフラグがどんどん間をつめていき、ワールドレコードなどの更新がどんどん早くなる。」というもの

ソフトバンクが33年で成し遂げたことは、例かもしれない。
118年、65年、33年、次は15年と4カ月で一兆利益越えの会社が出てくるという計算でしょうか・・・

・・・そしてこんなこと、良いわけがない。

わずか数十年で世界が変わっていったら、誰も真ん中を見つけられなくなってしまいますよね。

昨日は赤信号で進むなって言われたから、赤信号で進んではいけないって言われた人の気持ちを聞いていて、そのためにどうしようか考えていて、行動を始めたら、赤信号でも進んでよいことになってる・・・

・・・一体、誰が誰を守るかも分からなくなりそうです。

速読しても感情は追い付きません。だから、本当に本を楽しみたい時は、じっくりじっくり読むべきだ。

情報化社会がもたらした現象ですね。現代って、理屈ばかりが先に立ち、何か、大事なものを置いてきている。

でも、そういう大事なものが一緒に歩める速度、それが、理想の速度じゃないかなと思います。

体温くらいの速度で歩むには、少し世の中の方がホット過ぎる。

少し、冷めていただきたいですね・・・。
江戸時代は、世界の歴史上もっとも優れた生活環境だったそうです。戻れはしませんが、そういうバランスの取れた時代が、いつかやってくるといいですね。