肯定も否定もしないで欲しい

ALS支援:アイス・バケット・チャレンジ発案者が事故死

氷水をかぶって難病患者を支援するチャリティー活動「アイス・バケット・チャレンジ」の発案者の一人、コーリー・グリフィンさん(27)が米マサチューセッツ州の海で溺れ、16日に死亡した。米メディアが21日までに伝えた。

筋萎縮性側索硬化症」(ALS)の社会的認知を広めるために,世界で広がりを見せている「ALS アイス・バケツ・チャレンジ」
タレントの力をまざまざ感じる。が、このリンク、永遠続くのだろうかと思うと、こんな動きが。

“金城武為漸凍人之冰桶挑戰”

 

こういった活動であろうと、なんであろうと、「認知度」は大切。分からないと動きようはないのですから。
世の中全体「知らせたもん勝ち合戦」みたいなものだと思う。そういうことに、タレントやスターと言われる人達の力は絶大。
光って輝く人達の流れを受けるのだから、バトンが回れば嬉しいだろう、チャレンジするだろう。

「ところで、ALSって何?」そう思いながらバトンを受け取り、そのことがなんだか分かってないものもいるかもしれない。

以下は、一般社団法人ALS のサイトから引用

「ALSアイス・バケツ・チャレンジ」ご寄付のお礼と報告

「ALSアイス・バケツ・チャレンジ」は、難病ALSを克服するチャリティ運動として、
アメリカから世界中に広がりを見せています。
当協会では、このイベントが、これまで難病ALSを知らなかった人に関心を持って頂くきっかけになり、
ALSへの理解や支援の輪が広がっていると感じています。

また沢山の方からのお問合せやご寄付のお申し出に対し、心より感謝いたします。
頂いたご寄付は、ALSの原因究明や治療研究および、患者家族への支援活動のために、
大切に使わせていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

大丈夫、皆の行動は確かに形になり、成果が出ている。

1995年、泉谷しげるが阪神淡路大震災の時に、
「売名だよ!偽善だよ!文句あるか?募金しろ!」
とステージの上で言い放つ姿をテレビで観たことをよく覚えている。

御託並べてないで、とっとと助けないとならない時がある。理屈は後からで良い。
そういうことは確かにあるんだと感じた。

しかし、「誰かがやっているから私も」というのは、全て行いとして正しいとも思わない。

悪い人が出て来たからいい人となろう では、筋がおかしい。
それでは、ある意味 自分の人生に無責任ではないかと思う。
悪行が現れる前に、善行とは何か説いておくべきだと思う。

今、目の前のご飯を残すか残さないかの問題を、アフリカの飢餓を引用して「食べよう」では、
いつまで経ってもアフリカの飢餓問題も日本の残飯問題も世界の資源の無駄遣いもなくならないだろう。

「誰かに言われたから動く。誰かが動いたから動く。」だけでは、処理出来ない問題が多いと思うがどうだろうか?
全てが自分事にならないといけないでは? 他人事だから、いつまでもその問題達は片付かないのでは?

アイスバケット運動に参加した人達も、それを参加しなかった人達も正しいと思う。
ノッテおく時と、自らが選択することを大切とする時と、両方が必要なのだと思う。

幾ら募金がされたかは知らないけど、どれだけの方がこのALSのサイトを見たのか、それが気になる。

そして、タレントやスターの動きに翻弄されて、自分の行動が間違っていたのではと思う人がいないことを願いたい。

泉谷しげるに「募金しろ!」と言われて募金したあの時の少年も、
この運動を遠くから見ていた中年も、どちらも正しいと思いたい。

アイスバケット運動の発案者は、世の中へ問いかけただけではないだろうか?

「少し、考えてみてくれないか?」と。

決して、踏み絵をしようと思ったのではない筈だ。

だから、肯定も称賛も否定も反論もしないで欲しい。そう思います。

また、誰かのバケツの水が溜まって、こんな質問を世界に流して欲しいと祈ります。

お金のために働くと辛くなるのは何故?

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真反対の会社があるとしたら、当社”みやのめ”かもしれません(笑)

うちは、休日という概念がもはや失われているように思います。
深夜からの会議は当たり前、朝まで仕事して、朝から仕事開始。

が、そんなんでも別に文句を言う人もいませんし、プライベートのやりたいことはオールでやっています。

「何をするな」という言葉は一切ありません。

色々、これ、理由があります。

1.何のために何をしているのかはっきりしている
いつでも仮説を立てます。これをすればこうなるのではないか?というテスト、常にその気持ちで仕事に取り組んでいます。

2.大切なのはなに?
我々にとって大切なのはクライアントからの信頼量です。「お金より信頼」をモットーに、常に取り組んでいるので、障害が起きた時の対応については一切の迷いがありません。

3.そして、お金のために仕事しているとは思わない

世の中、”動いてる”のは本当にお金でしょうか?

よく聞きませんか?「時間はお金で買える」って。
新幹線に乗る時に使いたくなる言葉ですかね?

でも、本来の意味ってそんな単調な意味じゃない気がします。

誰かの労働力を使って自らが時間にゆとりを持たせる?

これも微妙にずれている気がします。

例えば、売上が沢山出て、利益率が良くて、労働力も沢山揃えられて、更に人材育成がしっかりされて、会社が完全盤石体制になったとします。それで満足になりますか?

yes そう答えますよね。では、そのために何もすることが出来なかったら?
やりたいことも全て失っていたら?

人の人生、24時間×?日のこの人生、結局は時間です。
自分の持つ時間を、お金に変換しているだけな気がしませんか?
そういう風に考えたら、何だか苦しくなりませんか?

無駄に沢山のお金を仕入れるため、無駄に何か大きな欲求を抱いて、無駄に余計な時間を過している。そんな気になったことはありませんか?

“人生を紙に変換している”それってどうでしょうか?
「食うためだ 仕方ない」無論、そう思うでしょう。

でも、”人生を人生に変換する”これが本来じゃないでしょうか?

動物だとしたら、シンプルです。生きるために動いています。
人間を特別な存在とは思いませんが、でも、人生というタイムラインを認知することが出来る私達は、それが一体なんだったのか?を考えて動いても良いと思うのですね。

つまり、価値ある人生です。そしてその価値ある人生とは、果たして「お金の量でしょうか?」紙切れに変換された人生は、何か寂しい気がしませんか?

思います。”お金で時間が買える”というのは、世の中のお金のシェア争いに巻き込まれている証拠だと。

納得行く時間をどれだけ過せるか?そこにお金という文字は不要じゃないでしょうか?
お客さんや市場の信頼をとにかくいただき、社会の輪に入れてもらう。

その時に、お金が確かに入ってきます。でも、それは人生の運用費です。人生への投資資金です。つまり、人生が主役であり、本分。その人生とは、時間です。

豊かな人生とは、お金が無い人生でもお金が不要な人生でもなく、自らが納得した時間をどれだけ過せたかのことを言うのではないでしょうか?

一億も二億も稼いだとします。とても簡単に。もしくはとても苦労して。
自分の時間をどう過せば良いか分からなかったり、自分の人生を全て辛い苦行のような時間に費やしてしまったり

・・・これこそ、本末転倒だと思うのですね。

本は幸せ、末はお金じゃないでしょうか。

幸せのための手段として”お金があるかもしれない” そんな仮説を検証しているのが”今”という人生の点なのだと思います。

お金のために働けば、お金が無くなった時に全てを失います。
過していく時間をいかに納得するか考えて行動していれば、失ったのはお金のみです。

失うのは、お金ですか?人生ですか?

お金で沢山の労働力を買って楽になったしても、自分の時間が潤っていなければ、、、、

先日、大手の会社で新入社員が過労によるノイローゼで命をなくされました。
わずか入社三カ月だったそうです。

どうして、「その会社を辞めてもいいことを誰も教えなかったのか?」

何のために何をしているのか、それを誰も教えてあげられなかったのか。酷く胸が痛みます。

今、貴方は何のために何をしていますか?