お金のために働くと辛くなるのは何故?

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真反対の会社があるとしたら、当社”みやのめ”かもしれません(笑)

うちは、休日という概念がもはや失われているように思います。
深夜からの会議は当たり前、朝まで仕事して、朝から仕事開始。

が、そんなんでも別に文句を言う人もいませんし、プライベートのやりたいことはオールでやっています。

「何をするな」という言葉は一切ありません。

色々、これ、理由があります。

1.何のために何をしているのかはっきりしている
いつでも仮説を立てます。これをすればこうなるのではないか?というテスト、常にその気持ちで仕事に取り組んでいます。

2.大切なのはなに?
我々にとって大切なのはクライアントからの信頼量です。「お金より信頼」をモットーに、常に取り組んでいるので、障害が起きた時の対応については一切の迷いがありません。

3.そして、お金のために仕事しているとは思わない

世の中、”動いてる”のは本当にお金でしょうか?

よく聞きませんか?「時間はお金で買える」って。
新幹線に乗る時に使いたくなる言葉ですかね?

でも、本来の意味ってそんな単調な意味じゃない気がします。

誰かの労働力を使って自らが時間にゆとりを持たせる?

これも微妙にずれている気がします。

例えば、売上が沢山出て、利益率が良くて、労働力も沢山揃えられて、更に人材育成がしっかりされて、会社が完全盤石体制になったとします。それで満足になりますか?

yes そう答えますよね。では、そのために何もすることが出来なかったら?
やりたいことも全て失っていたら?

人の人生、24時間×?日のこの人生、結局は時間です。
自分の持つ時間を、お金に変換しているだけな気がしませんか?
そういう風に考えたら、何だか苦しくなりませんか?

無駄に沢山のお金を仕入れるため、無駄に何か大きな欲求を抱いて、無駄に余計な時間を過している。そんな気になったことはありませんか?

“人生を紙に変換している”それってどうでしょうか?
「食うためだ 仕方ない」無論、そう思うでしょう。

でも、”人生を人生に変換する”これが本来じゃないでしょうか?

動物だとしたら、シンプルです。生きるために動いています。
人間を特別な存在とは思いませんが、でも、人生というタイムラインを認知することが出来る私達は、それが一体なんだったのか?を考えて動いても良いと思うのですね。

つまり、価値ある人生です。そしてその価値ある人生とは、果たして「お金の量でしょうか?」紙切れに変換された人生は、何か寂しい気がしませんか?

思います。”お金で時間が買える”というのは、世の中のお金のシェア争いに巻き込まれている証拠だと。

納得行く時間をどれだけ過せるか?そこにお金という文字は不要じゃないでしょうか?
お客さんや市場の信頼をとにかくいただき、社会の輪に入れてもらう。

その時に、お金が確かに入ってきます。でも、それは人生の運用費です。人生への投資資金です。つまり、人生が主役であり、本分。その人生とは、時間です。

豊かな人生とは、お金が無い人生でもお金が不要な人生でもなく、自らが納得した時間をどれだけ過せたかのことを言うのではないでしょうか?

一億も二億も稼いだとします。とても簡単に。もしくはとても苦労して。
自分の時間をどう過せば良いか分からなかったり、自分の人生を全て辛い苦行のような時間に費やしてしまったり

・・・これこそ、本末転倒だと思うのですね。

本は幸せ、末はお金じゃないでしょうか。

幸せのための手段として”お金があるかもしれない” そんな仮説を検証しているのが”今”という人生の点なのだと思います。

お金のために働けば、お金が無くなった時に全てを失います。
過していく時間をいかに納得するか考えて行動していれば、失ったのはお金のみです。

失うのは、お金ですか?人生ですか?

お金で沢山の労働力を買って楽になったしても、自分の時間が潤っていなければ、、、、

先日、大手の会社で新入社員が過労によるノイローゼで命をなくされました。
わずか入社三カ月だったそうです。

どうして、「その会社を辞めてもいいことを誰も教えなかったのか?」

何のために何をしているのか、それを誰も教えてあげられなかったのか。酷く胸が痛みます。

今、貴方は何のために何をしていますか?